「あはれ、音霊ほど世に奇しびなるものは無い。世の一切の活動が音霊によって起こり、世の一切の生命が音霊と偕に流れている。久遠の過去より久遠の未来に流れている。故に古の聖人は礼楽によって世を治め、天岩戸も音霊によって開かれた。一切心、一切物の根源が電子よりも更に玄のまた玄なる極微霊子(一霊四魂)であり、それが直ちに生命であり、それが直ちに音霊、数霊である。」<友清歓真

わが国固有の信仰体系である「神道」、あえて私は神道を宗教とは言わない。
それは、その根本に多くの宗教に見られるような教義的ドグマが存在しないからである。神道の世界観においては、全ての存在には神が宿り、全ての存在が既に神であると説くからである。
その世界観ゆえに、神道は多くの世界の宗教にあるように強制的に、その教義を押し付けるような性格が存在しないのだ。
神道という固有名詞も、後にわが国に導入された仏教などの諸宗教と選別するために便宜的に付けられたに過ぎない。
本来は「かんながら」と言われ、神と共にあるという言い方をされてきたのだ。

そのような自然崇拝を重んずる体系ゆえに悠久の縄文時代より脈々と、その精神を育んできた語らざる教えも、その後に輸入された仏教やキリスト教に、その座を明け渡すこととなってしまうのである。
しかし、江戸末期から明治維新の動乱の時期に、この神道が新たなる形で浮上してくることになる。
と言うよりも、この神道を中心とした国学の復興が新たなる時代への道を開いたといっても過言ではないだろう。まさに隠れていた神々の復権であった。

その時、神道は有史以来初めて理論武装されることになったのである。それまでにも伝授されてきた行の体系と論理が一体化することで神道は精神的世界への一石を投じ始めたのである。
その先鞭を切ったのが、平田篤胤である。平田はその画期的著書である「霊能真柱」(たまのみはしら)において古事記を中心とする神話世界を始めて論理的に解説し「日本霊学」の基本を打ち立てた。
この平田に誘発され、その後多くの霊学探求者たちが現出する。その多くの霊学者達は自らの神道の解釈を日本古来の神道体系に復古したとして従来の神道に対して「古神道」と称するようになるのである。
平田に継ぐ古神道家は、その後数多く輩出されるが、代表的な人物としては本田親徳(ほんだ ちかあつ)、大石凝真素美(おおいしごり ますみ)、川面凡児(かわつら ぼんじ)、宮地水位(みやじ すいい)等の先駆者達が上げられる。
そして、その先駆者達の偉業がクロスする地点に、古神道界の寵児といわれる出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)が現れるのである。出口王仁三郎は多くの逸話を持つ、正に時代の寵児と呼ばれる傑出した人物であったが、その業績で最も高く評価される点は、先人の優れた教義をひとつの体系に統合したことといえるだろう。
実際、現在の古神道系の宗派で、王仁三郎の影響を受けていない宗派は無いと言っても過言では無いだろう。それほどの影響力を持った人物であった。

その、出口王仁三郎の門下からは多くの霊学者が輩出されているが、その中でも突出した存在が友清歓真(ともきよ よしさね)なのである。
なぜ、私が友清を傑出した人物として評価するのか、それは唯一友清が「音」にその教義の真髄を説いているからである。
冒頭に書き出した文章は、その友清の音に関する文章の一部であるが、友清はここで始めて「音霊」と言う表現を用いている。
それまでにも「言霊」と言う表現は古来より用いられてきたが、友清は「言霊」をも含めた全ての音を「音霊」というものに含めた表現をしているのである。
言霊学は古神道における教義の中でも重要な位置を占めている。それは古神道の瞑想行ともいうべき「鎮魂帰神」の行においても重要な役割を担っているのだが、友清は、より広義において「音」が宇宙を構成する全ての基本と説いているのである。
その教義を、ここで詳細に述べることは省くが、音によって宇宙の存在全てが成り立っているという思想は、現在の波動理論の先鞭とも言えるものである。音や言葉の持つ波動が大いなる力を持つということなのだ。

ここで、友清の紹介した「音霊法」と言うものをひとつ紹介しておこう。
これは瞑想法のひとつなのだが、数ある瞑想法の中で最も簡単かつ効果があるものとして、友清が紹介しているものである。
その方法とは、至極簡単なのである。「ただ音を聴き続ける」これだけなのである。
友清は最も効果的なのは自然の音を瞑目して聴き続ける事と言っている。それは、滝の音であったり潮騒の音であったりするのだが、その音を、ただただ聴き続けるのである。その間に雑念が起きても問題ない、ただただ音に集中し続けることが秘訣であると友清は言う。ただし、なかなかそのような自然の音を聴ける環境に身を置くことは難しい。その場合には何か一定の音を発するものを聴けばよい、とも友清は言っている。その代表的なものとして「時計の音」を上げている。友清が生存したした時期は明治から昭和初期であるから、当時の環境からすれば時計が最も身近なものにあったために、このように述べているのであるが現在でもこの方法は最も適切なものであると思われる。
とにかく音を聴き続ける瞑想法というものに私は最も惹きつけられた。
私の演奏における基本形態は即興演奏であるが、この音に集中すると言うことは演奏の基本であるからだ。自らの発する音に集中する。周囲の音に集中する。私の即興の基本は常にそこにあるのである。
それは、私にとっての行であるのだ。音に集中し精神の深みを求める。全てはそこにある。
友清の「音霊」に出会ったとき私は自分の求めるものを再発見したのである。

最初に書いた友清の文章は、1985年にリリースしたFORCE MUSICK1stアルバムに貼付したパンフレットにも書き込んである。
私にとって当時から即興演奏の彼方にあるものは「音霊」の追求だったのである。
それは今も変わらない。
この世界に存在する、全ての音から音霊を紡ぎだす作業、それが完全なる即興演奏の姿であると私は考えている。

友清歓真/ tomokiyo yoshisane 1888〜1952